情報だらけの世界がそれによって失ったもの

現代社会は、情報だらけだ。パソコンを開けば何でも情報得、知識を蓄積することが出来る。
しかし、あまりに便利になったことによって失ったものもあるのではないだろうか。

ベルリオーズ:幻想交響曲

ベルリオーズ:幻想交響曲

なんでこんなこと書くのかと言うと、このCDを最近購入したからである。
現在のパリ管弦楽団の前進となる、パリ音楽院管弦楽団の1964年日本来公演ライヴ録音。
何ていったら良いのか、音が開くんです。
音が大きくなる→音が収束して閉じていくのではなく、
どんどんどんどん発散していく感覚。
決して良い演奏の部類ではないが、とんでもない演奏だ。
今のパリ管の演奏をCDで聴く限りでは、その様な感覚には陥ったことはなかった。
"パリ管弦楽団"ではなく"パリ音楽院管弦楽団"という、
古き良きフレンチオーケストラの音を始めて知った瞬間と言ったら大げさだろうか?
とにかく素敵だと思った。そりゃ粗はありますよ。所々ぐちゃぐちゃだし…
でもあの音の開きはそんな物事を
「なぁにそんな些細なことになにいってんのよ」
と言うかのように簡単に吹き飛ばしてしまう。
この様なお国柄の特性が色濃く出ている時代のオーケストラは、面白い。
異なる文化で発展してきた様々な奏法による演奏はどの演奏にも個性が存在している。


今はどうだろうか。
様々な情報が習得することが出来るようになり、奏法はシステマティックになり、
無駄は排除され、合理的に合理的にと変わっていく奏法の向かう先は、
どの流派にせよ統一された「何か」だ。
私のオーケストラを指導してもらっているトロンボーンのトレーナーさんが興味深いことを言っていた。

昔エキストラで乗ったオケ(確か、チェコ・フィル)のとなりのトロンボーンの奴の音、
なんかアメリカオケみたいな音出してたなぁ。

もしかしたら、その人は本当にアメリカ人だったのかもしれない…
しかしチェコ・フィルという伝統のオケの団員の中に
アメリカンなサウンドを出す人間がいるということは事実だ。
それは良いことなのかもしれない。
しかし、あのパリ音楽院管弦楽団の魅力的な音は最早得ることは出来ないのかもしれない。
現代のオーケストラはどこに向かってるんだろうか…



まぁ、そんな収拾がつかないくだらない話でした。